2010年06月23日

統一教会の礼拝「情の成長」−「宗教は心の弱い人がすること?」

ご覧いただき、ありがとうございます。

私の通う教会では教会長が長期出張のため、
教会長代理という方が赴任してこられました。

6月20日の礼拝で語ってくださった内容をお知らせします。

日付:2010年06月20日
題目:情の成長


「情の成長に相応しい環境を神様から与えていただいている私たちです。

一番は家庭環境です。

"家庭は愛の学校"と言われていますが、
私たちは家庭を通して愛を学ぶことが出来ます。

それは、自分の夫や妻、子供たちや両親、祖父母からから学んでいるのです。

家庭において縦の情、横の情、前後の情を総合的に学ぶことが出来き、情というものを育み育てていける所なのです。


あるいは、家庭の拡大として教会を考えてみたときに、
教会においてもお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、弟、妹など、教会生活を通して情の成長をしていくことが出来るのです。

しかし、愛せない人や愛せない環境が出てきますが、
神様が私の情の成長のために与えてくださったと考えなければなりません。

私たちは愛せない人やその環境こそ私の成長の為にあるので、そのことを祈るのです。
そこから素晴らしい心情の世界が醸し出されていくのです。」


少しとばして....。


「そのようなことから、信仰を持つ人に対して、信仰を持たない人は、
"信仰する人は心の弱い人だ"という人がいますし、実際、私もそう言われたことがあります。

宗教は心の弱い人がするものですか?

心に痛手を負って、何とかしたいとすがるような気持ちで駆け込んだところが宗教であった、
そういう所だけを見て心が弱い、と言えるのでしょうか?

それは切っ掛けに過ぎません。
その後、信仰を持ち続ける為には越えなければならないハードルは幾つもあるのです。

愛せない人を愛していく、
その人の為に祈り、精誠を立てていく....。

それは簡単でしょうか?
そうではありませんね。

私たちは神様という存在を知りました。
また、私たちが試練に遭ったときどのように越えるのかをジッと見つめている神様でもあります。

神様は環境を準備されますが、
その環境をいかに越え、勝利していくかは人間自身にかかっているのです。

手を出したくても手を出すことの出来ない神様なのです。
親である神様のその思いが分かるから、
私たちはどんな困難があっても
"頑張ろう!"、
"越えていこう!"と思うのではないでしょうか?

神様の真の姿を見たとき、
人は強くなるのです。」

説教の要約はこのあたりで....。



私は以前、高校や大学の友達に、
"お前が宗教に走るようなヤツだとは思わなかった。"とか、
"俺たちを仲間だと思ってなかったのか?"などと、言われたことがあります。

もちろん私からすると、
とても大切な友達ですし、
宗教を持つこと(信仰すること)が友達を否定することにならないと思います。

いろいろなことを見ても、
神様の存在を否定することは出来ないと思います。

宗教とはその字の如く、
"おおもとのおしえ"であり、
"根源の教え"です。

ですから、宗教とは特別なのもではなく、
私たちにとって当たり前のものであり、
神様という存在も当然、そこにあるものです。


何だか私の説教のようになってきてしまいました....。
すみませんm(_ _)m

昨日、撮った猫の写真をアップします。
バイクの下で気持ちよさそうに寝ていた猫に気付かずに驚きました。

neko.jpg

このブログをご覧いただいた全ての皆様に、
神様の祝福がありますことを心よりお祈り申し上げます。
本当にありがとうございました。
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2009年10月31日

統一教会の礼拝「神から愛される者の道」

ご覧いただき、感謝しております。

今日は10月25日の礼拝説教の要約をお伝えします。

日付:2009年10月25日
題目:神から愛される者の道


礼拝前に亨進様が二万一千拝の敬礼式をされたときのVTRを見ました。

何度か拝見させていただいていますが、
私は初めて見たとき驚いたことが幾つかありました。

その内のひとつはVTRの最初にあります。
「私たちのいう真の愛は他の宗教より優れていますか?」
と亨進様が語られる場面です。


ちょっと亨進様の経歴を少しご紹介したいと思います。

亨進様は2004年6月にハーバード大学の哲学専攻をご卒業され、
2006年6月にはハーバード神学大学院の比較宗教学専攻をご卒業されています。

ハーバード大学在学中、イタリア、ローマ、インドのダラムサラ、中国、台湾、日本、フィリピンなどの宗教聖地を訪問され、世界的な宗教指導者と会談をされています。

世界中の宗教を勉強され、研究してこられた亨進様が言われた言葉なのです。

”私たちのいう真の愛”とは現在の私自身の姿を問いただされている感じがして、とても悔い改めました。


その後、「七死復活 八段完成」に関する深いお話しに続いていくのですが、このことは以前、触れたので割愛させていただきます。


VTR後、文鮮明先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』の一部を訓読し、礼拝が始まりました。



ここから礼拝説教の要約です。

日本の牧会者は韓国の本部教会に行くようにと指示があり、
世界会長の亨進様の礼拝を聞いてきました。
第三回目の研修会で、
”信仰の試練”というテーマでした。

日曜日は午前5時からの訓読会です。
この日は大会があるのに8時まで行いました。
これが統一家の伝統です。

フンサとういう亨進様に侍るご家庭がいらっしゃいます。
この方は信仰歴30年以上の方で、年休2日だそうです。
朝2時に起床され、山に登られ水をくんでこられ、
朝5時の敬礼式にその水で聖水をすくるそうです。


授受作用を形成すると、
四位基台は神様の創造目的でした。

統一原理を一言で言うと、授受作用と四位基台だと言えます。
それを形にすると統一マークでした。
だから、亨進様はそのペンダントをかけて礼拝をされます。

欲しいと思いますか?
と聞かれると欲しい!と思うじゃないですか。
だから、欲しい!というとそんな簡単に手に入ると思うのか!と亨進様が言われました。
しかし、礼拝が終わると売店で売っていました(笑い)


午後4時からは日本食口のための礼拝です。
大解怨役事が終わってこられた食口が大挙してきたので、
この回が一杯でした。


ユニフケーションヘッドクオーターチャーチ、統一教となっていました。
どんな方もお迎えできる教会、仏教、キリスト教、イスラム教などどの宗教でもお迎えできるのが統一教となりました。
それは文鮮明先生からの許可をいただいて、統一教となりました。

世界経典としてコーランや仏典、そして文鮮明先生のみ言からの語句を引用され、亨進様は説教をされていました。


10月14日は平和の王戴冠式を三度越え、天宙的祝福式として、万王の王としてして下さった祝福式です。
過去の罪の痕跡も消してくださる祝福式。
私が参加したというレベルではなく、氏族メシヤとして参加したということです。


文鮮明先生は我が息子娘として、地獄のそこまでに行かれ、そのお体をズタズタにされながらも生かして下さった、それが一度だけではなく五回、六回、七回でした。
その象徴的条件が二万一千拝の敬礼式でした。


亨進様の礼拝に参加させていただいてすごいと思ったことは、
礼拝毎回手を抜かないことです。
毎回、服が汗でびっしょりです。


文鮮明先生は二時間、三時間しか休みまれませんが、
世の中でそういう人はいないと思いますか?
お金儲けのためにそういう生活をする人はいますよね。

自分の地位名誉財産にしているとサタンは認めません。
サタンが出来ないのは自己犠牲、自己否定ですので、
そういうために生活を送っている人には屈服せざるを得ないのです。


皆さん、アンネの日記を読みましたね。
ユダヤ人ということで600万名が虐殺されました。

そういう結果により、世論がそれは人権問題だと騒ぎ立てました。
そして、48年イスラエルの建国が許されました。

統一教会員が拉致監禁されている問題について、
必ず世界の世論がそのように動くと思います。

信仰が大きくなると現実が小さくなり、現実を大きくなると信仰が小さくなります。


10月14日の祝福式、世界100カ国からマスコミが取材に来ました。
中には新聞の一面に掲載されたケースもあります。
しかし、日本のマスコミは来ませんでした。

誤解と偏見を報道する時代は終わりました。

以上です。

七死復活、八段完成者であられる文鮮明先生ご夫妻に侍る我々となれるよう、新しい統一家の伝統を、神様の伝統を、立てていけるよう頑張りましょう。

ご覧いただいた全ての皆様に、
神様の祝福がありますことを心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
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2009年10月19日

統一教会の礼拝「祝福と相続」

ご覧いただき、ありがとうございます。
10月18日の礼拝に参加してきましたので、
その要約をお知らせします。

日付:2009年10月18日
題目:祝福と相続


10月14日、とてつもなく大きな祝福をいただきました。
中にはまだ参加されていない方もいらっしゃると思いますし、
青年の方もまだ受けていない方もいらっしゃると思います。

文鮮明先生はそこに集う方は全てに祝福を与えてくださいました。


祝福とは一体何なのか、
それは真の愛の相続と言えます。

特に先天時代という時代をよく知っている方は罪の清算のような感覚を持たれている方もいらっしゃるかと思います。

後天時代では強調されることは違います。

祝福とはその時の如くお祝いです。
罪を清算すると言うことではないのです。

罪の清算といえばどちらかというと受動的な恩恵であります。
真の愛の相続、完成というと能動的、主体的な恩恵です。

祝福とは真の愛の相続です。


三時代大転換祝福永遠宣布式は始めに36家庭の先輩家庭や777双の先輩家庭から修練会が始まりました。

私から見ると文鮮明先生との心情関係はものすごい絆をお持ちですが、しかし、文鮮明先生はこの中に先生と一緒に天国に入るものがいないと言って涙されたと聞いています。


10月14日もとてつもない祝福をくださいました。
天宙的な祝福、七死復活、八段完成の基台の上に行われました。

亨進様は誰であっても祝福に参加するよう教育してくださいました。
文鮮明先生は哀れに見えるぐらい私たちを信じて祝福をしてくださいました。

亨進様が真の愛がどのようなものなのか、悟りを得られ、反省と悔い改めの手紙を文鮮明先生に書かれました。
その手紙を金補佐官が次の日、文鮮明先生の前で読まれました。

金先生が「私は50年、直接お父様に侍ってきたのに、真の愛がこのような愛だと言うことを知りませんでした。」と語られています。

そして、その手紙を聞いていらっしゃった文鮮明先生は泣くまいと我慢していらっしゃったようですが、「ついに悟ったんだね」と涙されたそうです。

亨進様は現在30歳ですが、
本物の血統がつながっているとこはとてつもないことです。
本当にご子女様が我々のアベルであることがはっきり分かりました。

重荷的に言ってもしかたありませんが、果たすべきことが出来ていないのに、必ず愛の家庭を築いてくれることを信じて、祝福してくださいました。


真の愛は神様さえもひれ伏すと言われています。

太陽光は無色ですが、プリズムを通すと7色の光になると言われますが、
それが家庭における愛の姿です。

このことを切っ掛けとして、夫婦との関係、子供との関係、親戚との関係を真なるものとするために、やり遂げてくれることを信じて、10月14日に託してくださいました。

真の愛は自由な意志と行動で成り立つものです。
善なることしか出来ないように神様は人間をプログラムできなかったのです。
自分のやりたいことを置いて、私の為に動いてくれたと言うときに、愛を感じるわけです。
愛を完成するためにちょっと良いプログラムはないんですか?と言うことではいけません。自分の意志において行動することが重要です。

亨進様のみ言の中に感銘を受けたことがあります。
真の愛と軽々しく言っていましたが、悟られ、悔い改めの手紙を書かれ、
文鮮明先生は泣くまいと思っても涙が流れたのです。

本質的には真のご子女様と一つにならなければ、文鮮明先生ご夫妻と一つになれません。
自発的に、自分としては何をどうするのか。

国進様は文鮮明先生の苦労を軽減して差し上げたいために組織整備をしたいと言われていましたが、
ある時まで文鮮明先生は一切、手をつけるなと言われました。
今はそれが許され、今はものすごい発展をしています。

10月14日の恩恵を受けたことは始まりであり、真の愛を相続するための出発であります。出発自体は自分自身の自由な心で、文鮮明先生ご夫妻をお支えすることを自由な意志で行えるか、出発しないとならないと思います。

拉致の問題は直接関われることが少ないかと思いますが、意志を持って研究してくださいと言っておられました。

自発的な心は一人一人持たないと動きません。
根本的には自分自身が恐怖心やめんどくささに打ち勝っていくこと。
今まではそういう歩みを振り切ってきましたが、
今はそうではありません。

蕩減と言っても失われた創造目的を完成するのが本来の意味です。
罪の清算は途中経過です。

幼い私をどれほど忍耐され、祈ってくださっていた文鮮明先生の姿があったでしょうか。私を通して文鮮明先生の心情を解放する歩みをするために、
本当の祝福を相続する私になっていきましょう。



以上が、説教要約です。

み言の訓読では、『Today's World Japan』に掲載されている
亨進様のみ言を訓読しました。

近々、そのみ言もご紹介していきたいと思いますが、
真の愛という言葉の裏側にものすごい血の涙があったのだと、
実感しました。

私もその祝福式(10月14日)に参加させていただきましたが、
そのみ言によってとても内外共に整理され、
参加することが出来ました。

本当に多くの皆様に価値を知り、
祝福式にご参加いただきたいと思います。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様に神様の祝福が共にありますよう、お祈り申し上げます。
posted by マイロ at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 礼拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

統一教会の礼拝「恐れのない愛」

ご覧いただき、ありがとうございます。


今日は日曜日のため礼拝に参加して来ました。
その要約をお知らせします。


題目:恐れのない愛

先週は韓国の本部礼拝に参加させていただいてきました。大変ビックリすることもありましたが、とても恵みの多い礼拝でした。

その本部では一日に5回も礼拝をしていました。朝5時からその場で集会があったので、それを含めると亨進様は6回も説教をされていました。

亨進様は説教に入る前に面白い話をされてから礼拝をするので大変かと思います。

では、その話をしたいと思います。(笑い)

四歳のヨンミちゃんがいました。

お母さんが「ヨンミちゃん、素晴らしいお話しがあるのよ」と言いました。「これからあなたと一緒にご飯を食べたり、一緒に遊んだりすることの出来る弟が出来たのよ」というと「どこに弟がいるの」とヨンミちゃんは聞きました。

するとお母さんは「お母さんのお腹の中にいるのよ」というとヨンミちゃんは急に泣き出しました。
どうしてかと尋ねるとお母さんが弟を食べちゃったからと言う話でした。(笑い)

亨進様はテンションを変えず、その話をしているので、すごいと思いました。

しかし、同じ話を4回聞いている日本の牧会者30数名を前にして、「何度も聞いていると思いますが、日本の牧会者は初めて聞いたように笑ってくださいね。」とおっしゃいました。

8時、10時、12時、午後2時、4時と5回さていますが、前日土曜日に英語礼拝をされています。

天福宮を見学してきました。その場所は市民会館だったそうで、2100名ぐらい入るところで、現在はリフォーム中で来年完成予定だそうです。2階席もあるそうです。

今は周りに足場が組まれていましたが、感覚として見ると大きいと思いました。


今は統一教会を恐れず、伝道する時代です。

何と言いましても日本語で文鮮明先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』が発刊されます。これは文鮮明先生ご自身の立場で語られた内容ですので、驚くべきことです。

日本から韓国に帰ろうと船にまで行かれましたが、気が向かず乗らなかったと言われていましたが、この本にはその後お友達と富士山に登られたと書いてありました。

これを見て文鮮明先生は富士山に登られていたのか、と思い富士山に登りたくなりました。

文鮮明先生を日本統一教会創立50周年の式典にお迎えできませんが、この本はとても意味があると思います。この本には文鮮明先生の内情・心情が綴られています。


亨進様は恐れを持たず、伝道していこうと言うことで、黄色いジャケットと帽子をかぶって路傍伝道されていました。

礼拝の説教の中では恐れず伝道しましょうと言う内容と共に日本で拉致監禁のことを話されていました。残念ですが拉致監禁にあうと帰ってこない人もいます。本当に残念なことです。

後藤さんは12年5ヶ月、命かながら帰ってこられました。解放と言うことではなく、罵られ担がれ放り出されたのです。統一教会がまだあるのか分からず、文鮮明先生がまだ生きていらっしゃるのか分からず、と言った状態でした。

しかし、この様な被害に遭っているのにもかかわらず、人権侵害という事実を前にして警察は動いていませんし、正義を誓った弁護士などもその人権侵害に関与しています。

本来であれば法律を守り、人権を守るはずの弁護士が行っているのです。

親の名の下であっても信仰の自由を奪うことは出来ないと憲法でも認められています。

人の人権を奪うという行為をしてはいけません、許されないことです。それは神様の祝福を侵害することです。神の子としての存在を打ち消そうという行為です。

拉致監禁に合うと親子の関係がズタズタになってしまいます。

しかし、積極的に、恐れない我々になりましょう。
神様が我々を召してくださったので氏族のメシヤとなっているのですが、我々が責任を果たした時に真に氏族のメシヤとなれます。

解放釈放祝福の10月度迎えました。この現状を見ると多くの問題があります。
しかし、この様な混乱を越えてこられたのが文鮮明先生です。6度の牢獄生活を経験され、ヘリコプター事故を経験されました。

これから少しずつでも代表された選民としていわれのない誤解や偏見、受ける被害を含め全ての歴史を蕩減し、民族を蕩減し、請け負うことができる我々となりましょう。

そして、人間的に感情的にならず良しとしていけるよう頑張りましょう。


以上で、説教の要約を終わります。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様に神様の祝福が共にありますよう、お祈り申し上げます。
posted by マイロ at 15:30| Comment(5) | TrackBack(0) | 礼拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

統一教会の礼拝「人間世界に対するサタンの活動」

ご覧いただき、ありがとうございます。

今日は日曜日のため礼拝に参加して来ました。
その説教の要約をご紹介します。


題目:人間世界に対するサタンの活動


文鮮明先生ご夫妻が私たちの中心であり、人生の中心である文鮮明先生ご夫妻のご心情を私たちは悟る必要があります。
文鮮明先生ご夫妻は92年から日本にご入国されていません。文鮮明先生は悪いことをしていないのに文鮮明先生が入ることが出来ないのかと言われます。

摂理国家であるにも関わらず文鮮明先生ご夫妻が入れない国日本。しかし、なぜ文鮮明先生ご夫妻は愛を注いで下さるのか。それは愛の相対であるからです。


先日、責任者たちがアメリカに行かれてきました。
朝食からトイレにも行かず14時間続けて文鮮明先生が責任者たちにみ言をくださいました。
しかし、その14時間のみ言をダイジェストにすると、そして通訳を通すとどうなるでしょうか?
断片的になるかと思いますが一生懸命話します。


一挙手一投足、水晶のように透明な六角水にならなくてはいけません。
教育革命を完遂する、すなわち真の血統を伝授し愛を完成する純潔、純愛。
純潔が教育理念にならないといけない。
和解と平和は血筋を通して、各宗教と交差交代結婚を通して一つの家族になり、
One Family under Godの理想世界を造る。

〜長文のためアメリカのレポートはここまで〜

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今、国進様は寝ても覚めても拉致監禁問題について考えられているといわれています。
拉致監禁は人権問題です。

こちらが引いている時は向こうはやりたい放題でしたが、
我々が打って出た場合、
もっと巧妙になっていくと言われています。


ペテロは魚の獲れない漁師でした。
しかし、イエス様に出会い、漁師を捨て、家族を捨てイエス様について行ったのです。
それが外的献身です。

ユダという人物は会計を託された、実務力が卓越していたのでイエス様が任されたのだと思います。
しかし、イエス様を中心とした三弟子会議が行われたらユダは気になってしかたなかったのです。
終わって帰ってきた三弟子に「何の話があったのか?、私だったらもっと良い意見が出せたのに。」と思ったでしょうか?思ったと思います。

そういう思いが鬱積していったのです。

娼婦が布団を持ってイエス様に従ったと聖書にありますが、ユダは「そのことを知ったら誤解される」と思いが溜まっていたのではないでしょうか。

また、娼婦が香油を買ってイエス様に注がれました。そのことを見て同じことを思ったはずではないでしょうか。


元来、悪なるものは霊人体にはありません。心の中に不平不満、中傷誹謗が鬱積して出てきたものです。それが最後に殺意に変わってゆくのです。


イエス様に近い基台にサタンが入りました。
大きな石につまずく人はいません。小さな石につまずいてしまうのです。

現実をみると、イエス様は十字架に掛かってしまっていた。
ユダは「私はそんなつもりではありません」と言っても、
サタンは既にユダから離れてしまい、良心の呵責から自殺を遂げました。

ペテロも最後にイエス様を「知らない」と言われました。
イエス様は泥棒と十字架に掛かっていかれたのです。

十字架に掛かる際、サタンが「神があなたを見捨てたよ」と言ったのです。
ユダヤ民族や弟子たちが見捨てたとしても神様と一つ心が繋がっていたものが切れてしまいました。
それが暗闇の3時間でした。

しかし、イエス様は悔い改めて、十字架に掛かり復活のための40日を得ることが出来たのです。
ペテロはイエス様と霊的に出会いました。

アッピア街道のドミノクオバディスでイエス様に出会いました。
この時のペテロはこの世的な地位、名誉、財産といったことは払拭しました。
それが内的献身です。

ですから最後、逆さ十字架に掛かることが出来たのです。
その場所が聖ピエトロ寺院です。

ペテロは最高の弟子となりました。
しかし、ユダは今でも犯罪者です。

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統一教会に対する誤解は今でもあります。
我々が考える以上にまことしやかに嘘で固められています。

サタンは自分に近いものを狙います。
最も近い基台を狙い、
小さいものに入り込んでいくのです。
それが、サタンの活動です。

今は人の心が瞬間的に変わってゆく時ですので、
心を裂かなければなりません。

恩賜恩恵を迎えられるように頑張りましょう。


以上で、礼拝の要約は終わりです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様に神様の祝福が共にありますよう、お祈り申し上げます。
posted by マイロ at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

統一教会の礼拝「御父母様をお迎えする生活を築こう」

ご覧いただき、ありがとうございます。

今日は日曜日のため礼拝に参加して来ました。
その説教の要約をご紹介します。


題目:御父母様をお迎えする生活を築こう


神様は堕落した世界を想像されていたでしょうか?
地獄を神様は想像されていたという人もいますが、そうではありません。

堕落性というものを通して、歴史は失敗してきたのです。それはサタンが仕組んだことです。堕落性を侮ってはいけません。

しかし、アダムとエバが堕落しても神様につながっていけば、そんなに悪くはならなかったそうです。
人は罪を隠し、転嫁したのです。

それは、人の心に悪を働くように、遠隔操作のように悪霊人を入れて、サタンは主管してきたのです。

また、傲慢な心、慢心はサタンが与えた恩恵です。
み言は自分に受け止めなければ発展しません。
人を教育することは簡単です。

しかし、自分を教育することは難しいのです。
それは自分の心に傲慢な思いが入ってくるからです。

歴史上の人物が摂理を失敗してきたのは、
サタンが意識的に堕落性を引き起こすように準備してきたので、失敗してきたのです。


祝福を受けているから天国に行くと思っているかも知れませんが、そうではありません。地上でどう生きたかが霊界の位置を決めます。
地上生活を良くしないと、霊界では良い生活をすることが出来ません。

現在の自分の位置を確認しないといけません。
これは深刻なことですが、
大変だという思いを持たないようにして下さい。
いつも感謝する心で、絶対服従、絶対信仰でいて下さい。


“私は無理して天国に行きたいとは思わない”という人もいるかも知れません。
天国はそこにあるとか、あそこにあると言うことではありません。
天国人になった人が天国にいけるのです。

神様は私たちに天国人になって欲しいと思っているのです。
天国人にならなくても良いという人は堕落性に満ちた人間のままでも良いと言うことです。
意識を変えていかなければなりません。


統一教会の理想は理想家庭を築くことにあります。
親子の情関係を復帰し、兄弟関係を修復していかなければなりません。

結局は実体としての自分自身であり、自分がどうするのかを発揮すべきです。
そして、原理は家庭の中で、理想を立てるために結果を出していくことです。

何を成すために今、自分はどうするのかを明確にしなければなりません。
蓋をしてはいけないのです。。

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【管理人撮影】

心から文鮮明先生ご夫妻をお迎えする生活を築くことは、よっぽど必死に心を分別していかないとなれません。
切なる情を持つために必死になっていきましょう。


七死復活というみ言の背後に、
文鮮明先生ご自身の心をどれほど引き裂きながら、
私たちを生かすために、生きて越えてくださったことはどれほど大きいことかを理解しなければなりません。
天の恩恵を理解することが出来なかったとつくづく反省させられる思いです。

原理的な生活を復帰することに天の解放があるのです。

西川先生を日本に送ってくださり、50年という歴史が流れてきました。
み言の恩恵、祝福の恩恵を私たちが精誠を持って拡大しましょう。
実体を持って原理的な生活を実践していきましょう。


以上で、礼拝の要約は終わりです。

火のようなみ言とはこういうことを言うのだと改めて認識しました。
ひとつひとつのみ言が心にグッと来ました。
自分自身の生活を見直し、
もう一度原点に帰りながら、一週間歩んでいきたいと感じました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様に神様の祝福が共にありますよう、お祈り申し上げます。
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2009年09月06日

統一教会の礼拝「大祝典に最大の精誠を捧げましょう!」

ご覧いただき、ありがとうございます。


本日は日曜日のため、統一教会の礼拝に参加して来ました。
その礼拝の説教要約をお知らせします。


題目:大祝典に最大の精誠を捧げましょう!

8月31日の八定式はアラスカで宣布されましたので、通年であれば式典はアラスカで行われることが多かったのですが、今回はアメリカのラスベガスで行われました。


七死復活と八段完成というみ言をくださり、亨進様はそのことに感謝され、敬拝を捧げられました。

そのことは以前もお話ししましたが七度、生きて十字架の道を越えてこられたのが文鮮明先生ですし、地獄の底のような所にいた私たちを助けるために、文鮮明先生は信じられないような道を行かれました。

この八段完成というの八定式のことを指しますが、
文鮮明先生の焦るような思い、切実なる思いを理解していかなければなりません。
今回の八定式では叱咤激励され、突き放されましたが、そう言いながらも、ただ見ていらっしゃる文鮮明先生ではありません。
本当に情が通っているので、罵ったり出来るのです。

極端なみ言や情報が伝わりやすいこともありますので、文鮮明先生の真意を我々は悟るべきです。


ある時は火のようなみ言で我々を叱咤激励されますが、ご高齢の文鮮明先生に甘えてはいけません。

文鮮明先生のご心配と焦る気持ちをといて差し上げられるような私になることが大切です。


10月14日に祝福式が行われます。

私たちは氏族においては出発点でしかありません。先に統一教会に導かれた立場であり、その恩恵を氏族に広げていかなければなりませんね。
自分たちだけのものとしてはいけません。

与えてあげようという文鮮明先生の心情、七死の峠を越えられて、子供を救いたいという文鮮明先生の心情を思えば、ただただ感謝です。
そうではないですか?

文鮮明先生は地上にいらっしゃる間はどれだけの救いを出来るかを考えていらっしゃると思います。祝福家庭に対してどこまで親として責任を持とうとしていらっしゃる文鮮明先生です。

それは心を掻きむしるような思いをされることもあると思います。
私たちの生きる一つ一つの歩みに革命をもたらせてくださいと祈らなければなりません。そうすることによって文鮮明先生の深い心情世界を理解することの出来ると思います。


以上で、礼拝の説教要約は終わりです。


今日の礼拝に参加して、とても申し訳ない思いがわき上がってきました。
八定式のビデオを拝見しましたが、その中で文鮮明先生は
「八定式(の意義)を知らずして....。」と語られていらっしゃいました。

本当に幼い私であったと反省させられました。
知っているつもりになっていてはいけませんね。
”知っている”と“出来る”は意味が違います。
理解していても、それが実行に移していなければ、それは知らないと言うことと同じなのです。

血統転換をしなければ心情革命出来ないと言われるように、
難しい時ですが、文鮮明先生御夫妻の心情を理解し、相対にたてるよう日々精誠を捧げて、前に進んでいきたいと思います。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様に神様の祝福が共にありますように、お祈り申し上げます。
posted by マイロ at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする