2010年06月23日

統一教会の礼拝「情の成長」−「宗教は心の弱い人がすること?」

ご覧いただき、ありがとうございます。

私の通う教会では教会長が長期出張のため、
教会長代理という方が赴任してこられました。

6月20日の礼拝で語ってくださった内容をお知らせします。

日付:2010年06月20日
題目:情の成長


「情の成長に相応しい環境を神様から与えていただいている私たちです。

一番は家庭環境です。

"家庭は愛の学校"と言われていますが、
私たちは家庭を通して愛を学ぶことが出来ます。

それは、自分の夫や妻、子供たちや両親、祖父母からから学んでいるのです。

家庭において縦の情、横の情、前後の情を総合的に学ぶことが出来き、情というものを育み育てていける所なのです。


あるいは、家庭の拡大として教会を考えてみたときに、
教会においてもお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、弟、妹など、教会生活を通して情の成長をしていくことが出来るのです。

しかし、愛せない人や愛せない環境が出てきますが、
神様が私の情の成長のために与えてくださったと考えなければなりません。

私たちは愛せない人やその環境こそ私の成長の為にあるので、そのことを祈るのです。
そこから素晴らしい心情の世界が醸し出されていくのです。」


少しとばして....。


「そのようなことから、信仰を持つ人に対して、信仰を持たない人は、
"信仰する人は心の弱い人だ"という人がいますし、実際、私もそう言われたことがあります。

宗教は心の弱い人がするものですか?

心に痛手を負って、何とかしたいとすがるような気持ちで駆け込んだところが宗教であった、
そういう所だけを見て心が弱い、と言えるのでしょうか?

それは切っ掛けに過ぎません。
その後、信仰を持ち続ける為には越えなければならないハードルは幾つもあるのです。

愛せない人を愛していく、
その人の為に祈り、精誠を立てていく....。

それは簡単でしょうか?
そうではありませんね。

私たちは神様という存在を知りました。
また、私たちが試練に遭ったときどのように越えるのかをジッと見つめている神様でもあります。

神様は環境を準備されますが、
その環境をいかに越え、勝利していくかは人間自身にかかっているのです。

手を出したくても手を出すことの出来ない神様なのです。
親である神様のその思いが分かるから、
私たちはどんな困難があっても
"頑張ろう!"、
"越えていこう!"と思うのではないでしょうか?

神様の真の姿を見たとき、
人は強くなるのです。」

説教の要約はこのあたりで....。



私は以前、高校や大学の友達に、
"お前が宗教に走るようなヤツだとは思わなかった。"とか、
"俺たちを仲間だと思ってなかったのか?"などと、言われたことがあります。

もちろん私からすると、
とても大切な友達ですし、
宗教を持つこと(信仰すること)が友達を否定することにならないと思います。

いろいろなことを見ても、
神様の存在を否定することは出来ないと思います。

宗教とはその字の如く、
"おおもとのおしえ"であり、
"根源の教え"です。

ですから、宗教とは特別なのもではなく、
私たちにとって当たり前のものであり、
神様という存在も当然、そこにあるものです。


何だか私の説教のようになってきてしまいました....。
すみませんm(_ _)m

昨日、撮った猫の写真をアップします。
バイクの下で気持ちよさそうに寝ていた猫に気付かずに驚きました。

neko.jpg

このブログをご覧いただいた全ての皆様に、
神様の祝福がありますことを心よりお祈り申し上げます。
本当にありがとうございました。
posted by マイロ at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 礼拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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